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♪ついに夢がかなった千春さん♪
千春さんは心のどこかにずーっと歌手になりたいという気持ちがあったので
メジャーデビューが決まった時、嬉しくてまっすぐデビューのことを考えていました。
デビューが決まった時、千春さんのお母さんの次の一言に千春さんは感動したそうです。
それはお母さんが仲村さんの奥さんに言った次の一言でした。
「どこかに千春の歌を見つけてくれる人が必ずいるって信じてました・・・。」
千春さんは弱気になって夢をあきらめていた時期もあったので
お母さんが実はずっとそう思っていてくれたことがとても嬉しかったようです。よかったね!ち~は。

♪迷うあ~や♪
一方の綾乃さんは、自分が行かなくても東京には千春を表現できるミュージシャンはいるから
絶対やらないとずっと言い張っていました。
それは、インディーズでCD出した時と同じで
千春さんと綾乃さんとで「大丈夫だから」「いやあ、もうダメダメ」というやりとりがありましたが、
ついに綾乃さんが決心して東京行きを決めました。
一緒に行こうって思えたのは、やっぱり沖縄ですごい聴いてくれた人達がいたから、だそうです。
家族も「ダメならいつでも帰っておいで」と背中を押してくれました・・・。
綾乃さんがいなければ今の千春さんは無いと思うので、決心してくれて、本当にありがとう!あ~や。

♪ビクターの三枝氏と共に歩む♪
本人達の持っているものを最大限に引き出すためにはどうしたらよいか
というのが三枝氏の発想の原点。(
音を聞かせる作業を徹底したい、ということで
ラジオ、有線など聴覚媒体については全部やっていこう。
メジャー版「長い間」もインディーズ盤を基調に厚みをかける。
プロモも沖縄の空や海や自然を入れようとした。
その原点を大切にして、現在に至るまで共に歩んでいてくれる三枝氏には本当に感謝ですよね!。

(ちなみに当時、同じレコード会社に所属していた「LUNA SEA」の河村隆一氏にも相談したらしく
河村隆一氏曰く「何もいじらないでこのまま出した方がいいですよ」と答えた、という貴重な逸話が残ってます)

♪インディーズ時代の最後のライブ♪
1997年(平成9年)12月20日
沖縄コンベンション劇場で1800人の人々が詰め掛けました。

♪そしてついに上京♪
1998年(平成10年)1月4日
千春さんと綾乃さんとマネージャーの仲村さんと3人で上京。
2LDKのマンションの6畳の部屋で二人並んで寝袋でメジャーデビュー東京第一夜を過ごしました。
「長い間」のプロモーションなど、スケジュールに追われ1日終わるとぐったり。
二人とも、本当に東京でやっていけるのだろうか、理解してもらえるのだろうか
という不安を抱えながらも忙しくて話す余裕もなかったそうです。
スケジュールをこなすのがやっとという状況の中で
ついに運命の1998年(平成10年)1月21日、
Kiroroのメジャー盤「長い間」はリリースされることとなりました。
そうして、まもなくその歌声は私の耳元にも届くことになりました・・・。出逢えて本当にありがとう!

(引用資料:㈱シンコーミュージック発行「MUSIC CHRONICLE」
       ㈱メディア・レブ発行 Kiroro写真集「ものがたり」
       フジテレビ系「HEYHEYHEY2012年12月特番」)

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