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インディーズのKiroro(短大・専門学校時代)

♪運命の1曲「長い間」♪
「長い間」を作ったのは1996年(平成8年)初頭、名古屋にいる知り合いの男性の結婚式に贈るため。
この曲、実は千春さんと綾乃さんとで二つの原曲を一つにするという作業を試行錯誤しながら出来た曲。
別々に作ってあったAメロやサビのパーツパーツを何回も組み合わせる作業をしながら完成しました。
歌詞に男性の部分と女性の部分とが見受けられるのは、男性女性の二人の気持ちをひとつに表現したから。
そしてこの曲は運命の1曲となりました!。

高校を卒業する1996年(平成8年)3月には仲村さんの勧めで出場した
「YAMAHA Teens’ Music Festival」沖縄大会で特別賞を受賞し名実共に実力を発揮。
「Kiroro」という名前はインディーズデビューするために、この頃つけられたようです。

『Kiroro』という名前は、千春さんが小学校の時に地域交流で北海道池田町に行った時、
なんとなく耳に残っていたアイヌ語の
Kiroru=人間が踏み固めた広い路の意
Kiroro-an=強い・健やか・盛ん・大きい・かたくなの意
という言葉を参考に、意味や響きに魅かれグループ名を決定しました。

高校卒業後、4月に千春さんは、長崎の短大へ進学し中国語の勉強を
綾乃さんは地元沖縄にある医療事務の専門学校へ進学。

インディーズでCDを出す事については、千春さんが積極的だったのに対し
綾乃さんは「いやあ、いいよいいよ」と初めは消極的でしたが
千春さんに「記念になる、めったにないチャンスだから!」と言われ、
それぞれの道を歩みながらも、学校の夏休みなどを利用しながらレコーディングをしつつ
ついにインディーズで「長い間」を発売することになりました。

1996年(平成8年)6月仲村さんのスタジオで出しているアマチュアバンドのオムニバスアルバム
               「KID’S Music BOX4」に「僕らはヒーロー」を収録
1996年(平成8年)11月21日リリースの1stシングル「長い間/青のじゅもん」1万枚突破は沖縄では快挙。
1997年(平成9年) 4月21日リリースの2ndシングル「未来へ/逃がさないで」や
1997年(平成9年) 7月10日リリースの3rdシングル「すてきだね/恋に恋して」も好調。

♪そしてメジャーが二人に逢いに行く♪
そんなある日、沖縄で売れているという評判を聞きつけたビクターの現場の人が、そのCDを
ビクターエンターテイメント㈱取締役・第一制作本部長(当時)の三枝照夫氏のもとへ持って来ました。
聴いてみると、とても声がいいし、わかりやすいメロディーだし、詞もいい。
これはすごくいいなと思ったのでとにかく会いに行ってみようという話になってすぐ沖縄に飛んだそうです。
当時、他メーカーは営業サイドで話が伝わっていただけで
沖縄にまで事務所の社長や本人たちに会いに行ったのはビクターさんだけ。(これも運命ですね!)
実際に二人と話してみたら人懐っこくて、素朴で、まっすぐ育ってるなという印象を受けたので
三枝氏はやってみようと決意したそうです。
そして1997年(平成9年)7月には話がまとまり、
メジャーデビューに向けてのプロジェクトはスタートするのです。

 (引用資料:㈱シンコーミュージック発行「MUSIC CHRONICLE」、
ファンサイト「Kiroro Music Avenue」)

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